なぜ消費者向け製品のユーザーエクスペリエンスはよくないのか

家電から自動車まで、物理的な製品は必要以上に複雑だ。その理由は、ユーザビリティのトレンドを無視する偏狭な企業がそれを作っているからだ。

VolkswagenはPhaeton V-8Aという 7 万 3365 ドルの欠陥車を発表した。The New York Times の評論家はその車について、以下のようなコメントを行っている。

  • 「BMW の iDrive ほど腹立たしくはないものの、」(なんとも弱々しい賞讃だ)車のコントロールは「ほとんどユーザーフレンドリーと言えるものではない。」
  • コマンドがどこに隠されているのか探すために、「次々とメニューを開き続けなければいけなかった」。
  • ヘルプボタンを試したが、助けにならなかった。」
  • ナビゲーション・システムは「今まで使った中で一番ひどく」、「はなはだしくプログラムしにくく」、「大部分がわかりにくい」。
  • 最後に、飲み物ホルダーが欠陥リストに加えられている。評論家の水の入ったビンは試乗中に「 6 回も床に転げ落ちた」。(これは VW に限ったことではない。私は同じような経験を Mercedes E420 でもしている。どうやらドイツの技術者たちは飲んで運転することに反対らしい。たとえそれが、ただの水であっても。)

このお粗末な話からはっきりわかるとおり、ユーザビリティはもはや特殊なものではなく、大手の新聞社が高額商品の評価を行うときの指標になりうる。ということで、デザインには金に糸目をつけなかったらしい新製品でも、ユーザビリティが明らかに標準以下という場合には、評価は主として否定的なものになるわけだ。

BMWの車がロイヤリティを幻滅に変えるとき

大物違反者は Volkswagen だけにとどまらない。私自身、BMW が標準以下のユーザビリティを持っていると証言できる。2 年前、妻は不幸にも 745i を買ってしまった。幸い、3 年リースなので、今は損をせずに車を処分できる残りの日数を数えている(残り 347 日)。妻が BMW のロイヤリティあふれる顧客のひとりだったにもかかわらず、私たちはたぶん BMW を決して買うことはないだろう。 BMW 745i を毎日乗らなければいけなかったことから、妻はこのブランドに幻滅してしまった。どんなに大量の広告を使っても、粗末な製品から培ったユーザ体験に勝る印象を与えることはできない。

ここに示すのは、BMW 745i のお粗末なインタラクション・デザインのごく一部だ。

  • 反応時間がとても遅い。何かを選択したら、次の画面が表示されるまで数秒待たなければいけない。顧客ニーズを無視した BMW の技術者を笑うのは簡単だ。だが、筋金入りの技術者なら、ハイエンド製品に低速なコンピュータを搭載するなどということは、絶対に認めてはならない。この製品のハードウェアは、その基本を外している。レスポンスが遅いということは、もっとユーザインターフェースに注意を払わなければいけないということだ。自動車の中で行う操作として、これは危なすぎる。
  • 気の利かないタスクの流れ。たとえば道案内の行き先を設定するときは(ゆっくりと)画面が切り替わり、そこで実際に道案内を実行するためにカーソルを動かさなくてはいけない。私が思うに、行き先を入力した人の大半はそこに行こうと思っているのではないかと思うのだが。本来なら、まず道案内を開始し、行きたくない行き先を入力した例外的なユーザに道案内の表示を取り消すコマンドを提供すべきだ。
  • 入力機器と画面表示の間違えやすい位置関係。行き先一覧からアイテムを消すとき、カーソルをに動かたすには、つまみをに回さなければいけない。
  • 意味不明な略語。大きなスクリーンがあるにもかかわらず、デザイナーは「 DSC/DTC 」、「 BC 」、「 Avoid sect. 」、「 WB 」、「Recirc. air MFL.」といったコマンドをユーザインターフェイスに撒き散らしている。それが何を意味しているのかは、勘に頼るしかない。画面に余裕がある場合、(たとえば「 WB 」ではなく、「 Weather 」のように)略語は使わないほうがよい。
  • 状況対応の不足。毎回 GPS を使うとき、入力機器をひねったり、回したりという骨の折れる作業を行って、行き先の名前のスペルを書き出さなければいけない。このシステムのデザインは、アメリカのどの都市に行くにも、同じくらい簡単に(つまりは同じくらい難しく)している。アメリカの都市で、「 San 」で始まるのはいくつあるか知っているだろうか。私たちの住んでいるところを考慮した場合、行き先がほとんどの場合、行き先が San Jose か San Francisco で、通常利用では近所にある行き先までの近道を調べるために GPS を使う。カリフォルニアの住民は、どのくらいの頻度で昼食をとりに 1 万 755 マイル走って テキサスの San Marcos まで行くというのだろう。
  • 違う機能なのに見た目が同じ。この車は運転手の座席やミラーなど、設定をカスタマイズすることができる。この設定は運転手が鍵を刺したときに自動的に調整されるよう、それぞれの鍵とリンクされている。これはコマンドなしユーザインターフェイスのよい例だ。車には 2 つの鍵がついてくる。運転手が 2 名の家族には最適だ。しかし、不幸にもこの 2 つの鍵は見た目がまったく同じなのだ。運転手が自分の設定が入っている鍵を見分けられるように、違う色をつけたり、違うシンボルをつけたりするのは簡単だったはずだ。しかし、そうはなっていない。2 名のドライバーが同じテーブルの上に鍵を置いたら、もうわからなくなってしまう。50 %の確率で鍵を間違える可能性がある。

家庭で使うことを想定していない家電製品

下の写真は家庭で映画を見るときに使う、一般的な家電製品 2 つだ。映画を見ている最中に電話が鳴ったとしよう。どのように一時停止するのだろうか。

Photo of remote controls from TiVo and Pioneer
TiVo DVR デジタル・ビデオ・レコーダのリモコン(左)と Pioneer DVD プレーヤのリモコン(右)

TiVo のリモコン(左)では、一時停止ボタンは見つけやすくなっている。大きくて他のボタンからの距離もそれほど離れていないため、押しやすくなっている。Pioneer のリモコン(右)では、一時停止ボタンを見つけるのが困難で、注意が必要だ。見つけたとしても、小さく、同じようなボタンの間にあるので、押しにくい。

Pioneer のリモコンをデザインした人たちに不公平な評価をしていると思うかもしれない。ここで表示している画像は圧縮されていて、わずかにボタンのラベルをぼかしてしまっているのは確かだ。しかし、この画像の見え方は、多くの人がこの 2 つのリモコンを実際に見たときの見え方よりも鮮明だ。

この装置を使うのは、テレビや映画を家庭で見るときだ。それを考慮したとき、予想されるユーザのおかれた状態で、鍵となる 2 つの要素は

  • 老眼用メガネではなく、遠くを見るためのメガネ。
  • 暗くした照明。

もちろん、視力が落ち始めていない若いデザイナーには最初の問題はないだろう。そして、デザイン案を明るい照明の中で評価している人たちには 2 つ目の問題はない。そして最後に、デザイン案を評価している人たちは酔っ払っていないだろう。ユーザの多くが酒気をおびて、視界と頭の働きが鈍っている可能性があるのにだ。もし顧客が飲酒している可能性があるのだとしたら、それにもとづいてデザインしなければいけない。

不幸なことだが、ほとんどのリモコンは上の写真の右のリモコンのようにデザインされている。

なぜこんなに酷いのか

お粗末にデザインされた消費者向け製品の例はたくさんある。中には数少ない良いものもあるが、ほとんどのものは二つの理由でユーザビリティが酷くて悪い。インセンティブと、ユーザビリティ文化の不足だ。

以前は、製造者がユーザビリティに力を入れようと思わせるようなインセンティブは少なかった。物理的な製品では、顧客は製品購入後までユーザ体験がないのだ。(それとは反対に、ウェブサイトでは購入前にユーザ体験をする。もしウェブサイトが難しすぎると、彼らはその企業とは取引を行わないで、製品「購入」ボタンまでたどり着くはるか前に去ってしまう。)

しかしながら、上で私が引用した New York Times の記事が示すように、ユーザビリティのインセンティブは、物理的な製品でも増えている。最近はConsumer Reports も、ユーザビリティを製品評価の明確な評価基準にしている。

ユーザビリティ文化の誕生

TiVo はユーザテストと、モックアップを使った大まかなプロトタイプを使った、製品開発の初期段階からのユーザビリティ手法を取り入れている家電企業の一例だ。

なぜ TiVo は理解していて、他の家電メーカーは理解できていないのだろう。私が思うに、TiVo のユーザビリティ上の優位は Silicon Valley にあることから来ているのではないだろうか。また、私が毎週、大好きなインド料理屋に行く途中で TiVo の本社の前を通るたびに、私の思考がテレパシーによって届けられ、TiVo がユーザビリティを完全に理解するにいたったのかもしれないが、もっと現実的に考えられる理由は、 Silicon Valley が過去 5 年間、ユーザビリティ文化と一緒に成熟の道を歩んできたからではないだろうか。

TiVoは新しい企業だ。創業したとき、彼らは他の Silicon Valley の企業で働いたことのある人たちを雇い入れたが、それらの企業の中にはユーザビリティラボを持っているところもあった。私は事実として、TiVo の初期インターフェイス・デザイナーのうち 1 人が、過去のプロジェクトでユーザテストの有効性を認識していたことを知っている。

確かに、コンピュータ業界には酷いユーザビリティがはびこっている。企業向けソフトウェアはインストールが難しく、扱いにくい。PC ソフトウェアはほとんどのユーザにとって複雑すぎる。しかし、これらは遺産的な問題に起因している。会社がユーザビリティ部門を設立し始める以前に作った、あわれなソフトウェアの上に、インタラクション・デザイナーがまともなユーザインターフェイスを乗せようと必死になっている。

Microsoft Office は 1988 年以来ソフトウェアスイートとして、Excel は1983年以来、PowerPoint は 1987 年以来(そしてもともとは Forethought が単独の製品として)売られてきたにもかかわらず、今日まで統合されたユーザ体験を提供できていない。毎リリースごとによくなってはいるものの、16 年間かけてもそのインターフェースには過去の遺産が見られる。

今日、コンピュータ製品やインターネット・サービスを開発する企業は、海外戦略が必要なのと同じように、ユーザ体験に対する戦略が必要だ。ユーザビリティとは、重役が気にかけるのが当たり前だとされるべき問題なのだ。それは彼らがいつも正しく、物事をうまく運べるからという意味ではない。彼らにとってユーザビリティは無視できないことだという意味だ。

また、Silicon Valley の既存の多くの企業がユーザビリティを採り入れているため、ユーザビリティに経験のない企業も、しばしば、過去の仕事でユーザテストを行った経験のある人を雇い、それを新しい製品に活かそうとする。

家電企業は反対に、ユーザのニーズを無視してきた歴史がある。いくつかの携帯電話会社は少しユーザビリティを行っているが、ほとんどの業界でユーザビリティが行われていると耳にすることはない。こういった企業は視野の狭い偏狭な企業で、その道一本の職人たちであふれている。自動車技術者たちは、自動車業界の人たちとしか会話をしない。ケーブルテレビのチューナーをデザインしている人たちは、テレビ産業の人たちとしか会話をしない。彼らは決して画面上のユーザインターフェイスについて詳しい、インタラクション・デザイナーとは話さない。そしてそれが製品に現れるのだ。

多くの製品がコンピュータを内蔵するに従い、いくつか血の混ざり合いは避けられない。そして停滞している業界でも、ユーザビリティについて詳しい人を雇うようになるだろう。そうなるまで、評論家たちは使うのが難しいデザインを批判し続け、私たちは一番まともな製品で妥協することを強いられ続けることになる。

2004年3月15日