ユーザテストはエンターテイメントではない

観察している人たちを最優先に考えた調査をすべきではない。たとえ観察していてつまらないタスクばかりだとしても、デザインを真に検証するテストを実施すべきだ。

気がかりな傾向がある。製品デザインを評価することよりもむしろ観察室のお客様をもてなすことに照準を合わせたユーザテストが増えてきているように思うのだ。誠意を持ってそうしている人たちは、よく知られるユーザビリティの問題点をクライアントに見せて、強く印象づけたいと考えている。そうすれば、デザインの改善に向けて支援を得られると考えているからだ。

ウェブ・マネージャの多くはユーザのことを全然わかっていない、ユーザテストの真の狙いは単にマネージメントを教育することにある、という認識が根底にある。

しかし、すでに分かっていることをただデモするためにユーザテストを実施してばかりいては、調査の価値を自らの手で落としめてしまうことになる。

  • 狙った結果をただ引き出すために実施される調査には、誠意を感じられない。調査にバイアスをかけることはあまりにも簡単なことであり、そんな調査から得られた結果に真実味はない。
  • 狙いを定めてしまうと、それ以外の問題点をあっさり見落としてしまう。もしかしたら、それがデザインに潜む最大の問題になるかもしれないのに。経験から言うと、クライアントがウェブサイトのある側面、たとえばナビゲーションについて調査をして欲しいと依頼してきたときには、真の問題はどこか別の側面、たとえばコンテンツにあるなんてことが実に多い。つまり、ユーザテストを実施するときには、先入観を捨て、予期せぬ結果をこそ期待するのが肝要なのだ。

典型的なミス

エンターテイメントを主眼にしたユーザテストでよくみられるミスには、次のようなものがある。

  • 外向的で、物怖じせずに意見を述べられる被験者ばかりを集めてしまうこと。確かに、そういった被験者からは気の利いた発話や意見が得られるだろう。よく喋るユーザを被験者にしたテストが、観察していて面白いのは間違いない。しかし、観ている者にバイアスをかけてしまう可能性もある。リクルーティングのガイドライン233項目の中で、想定するユーザ層を代表する被験者を集めるべし、とするガイドラインが最も重要だ。たとえば、ネットワーク・ストレージを企業顧客に販売しようとするときには、システム管理者を幅広く集めてユーザテストを実施する必要がある。内向的で少々おたくじみたシステム管理者を全員ふるい落とすわけにはいかない。そんな人物が、購入の意志決定に大きな影響力を持っていることもあり得る。呑気な感じのシステム管理者とはまったく異なる行動をとることだってあるかもしれない。
  • ユーザが派手に動き回ることになる部分にばかり調査の目を向けること。逆に、製品やサービスの詳細情報ページなど、静かに読むことだけがタスクになるページを調査から外してしまう場合が見受けられる。観察するにはつまらないが、実際の購買行動ではその部分こそが決め手になることも多い。特にB2Bサイトでは、製品のスペック情報や白書を掲載したページが、ユーザ・エクスペリエンスの鍵を握る。
  • ユーザの発話を期待すること。特に、デザインチームがなかなか結論に達せずにいる問題について、事細かに意見を求めることがままある。確かに、今後の意志決定に役立つ意見を聞けるとしたら魅力的だ。しかし、ここで得られるフィードバックがどれほど信用に足るものだというのか? タスクから逸れて、検討中のデザイン案をユーザに見せ、質問攻めにしたところで、信用に足るフィードバックは得られない。ユーザが何をどのように使うのかを観察すべきであって、使ったこともない架空のデザインについてユーザが語るのを聞いても仕方がない。時間をかけずに作れるペーパー・プロトタイプを2つ、3つ用意してテストをするなら良い。しかし、“もし、このウェブサイトでこんなことが出来たらいかがですか?”と聞くだけで、ユーザに推測を強いるのは好ましくない。質問に対する応えと、実際にそのようなユーザ・インターフェイスに対峙したときにユーザが取る行動とに相関はないのだから。

観察室にいる人たちの反応を気にかけながらユーザテストを進行しているとしたら、おそらく何かミスを犯しているだろう。だとすると、チームメイトが期待しているデータ(クライアントがお金を払って集めようとしているデータ、と言っても良い)を、あなたは取り損ねていることになる。

ショービジネスとしてのユーザビリティ

ユーザビリティの仕事をしていると、もっと人目を引くアプローチが求められることもある。Irving Berlinが言ったように“ショーほど素敵な商売はない” とは思えない。なぜなら、どんなビジネスにもショービジネスの側面があると思うからだ。溢れる情報で窒息してしまいそうなほどのビジネス環境では、聞く者が唸り、頷くようなメッセージを発信して、周囲の関心を引きつけなければならない。

ユーザテストのハイライトビデオを作成するなら、問題のある20のページにユーザがアクセスする様子を一つ残らず切り集めて10分間のビデオにするよりも、誤って余計なクリックをする様子を1つ、2つ見せてから、“9分後…”のようなフリップを挟み、ユーザが“なんて酷いウェブサイトだ。欲しい情報が何も見つけられない。こんなサイトは二度と使わないよ”と言っている様子で締めくくる、そんな編集が望ましい。

ユーザビリティ評価の結果をプレゼンするときには、2分の笑えるハイライトビデオが、10分のつまらないビデオに勝る。チームメンバーはもちろん経営幹部でさえも、あなたが示す知見に興味を持ってくれるだろうし、ユーザビリティを検討する場にも、その後、積極的に参加してくれるようになるだろう。

ドラマを盛り上げるには、つまらない部分をカットしよう。ただし、そのつまらない部分があってこそ、ユーザが欲しい情報に辿り着けない理由 がどこにあるのかを究明することができるのだ。問題点をどのようにして見つけるか、それをどのようにプレゼンするか、またドキュメントにして報告するにはどうするか、それぞれの段階で異なる手法が求められる。

  • 調査の結果をプレゼンテーションするには、聞き手の関心を引き、やる気を高めることのできる素材を強調して使うのが良い。内気な被験者のユーザテストの様子をたっぷり見せるようなことはよそう。
  • 問題点を見つけ出す段階では、調査にバイアスをかけないこと、そして、面白くなりそうなところばかりに注力しないことが、以下に挙げる3つの理由で重要となる。
    • まず、不要なクリックを20回かそこらしてもらわなければ、ナビゲーションデザインの問題がどこにあるのかを検証することができない。
    • 次に、被験者に“つまらない”ページを素通りさせてしまっては、その部分をユーザがどのように解釈するのかを確認することができない。
    • 最後に、“面白い”ページへ誘導された被験者は、関係のないページも通りながら、やっとの思いでそのページへ辿り着いた人とはかなり違うメンタルモデルを築いてしまうことになるし、ページ上で見せる態度も随分と違ってしまうだろう。ユーザは、やっとの思いで到着したページには長く滞在せず、すぐに立ち去ってしまう傾向がある。逆に、難なく辿り着いたページには、好意的な態度を示し、そこからさらに遷移してみようとする傾向がある。つまり、誘導されて難なく辿り着いた部分は(不当に)高い評価を得てしまいがちなのだ。
  • ドキュメントにして結果を報告するには、調査の全容を踏まえたうえで、ユーザビリティの問題点の重要性を強調すべきである。興味深い発話を得られたからといって、そこに重きをおくべきではない。

エンターテイメントとして調査を実施していると、結局は、調査で得られた知見を重視してもらえなくなり、製品の改善に繋げられずに終わることになる。お粗末なテスト手法をとったせいで見逃されたユーザビリティの問題は、インターフェイスにそのまま残ることになるだろう。そして、ユーザビリティの改善が高い投資収益に繋がるというあなたの主張を、経営幹部はもはや受け入れてはくれないだろう。

長い目で見ると、結局“金がものを言う”。バイアスのかかっていない調査の重要性を強調することやユーザの行動を観察することによってこそ、投資収益をあげることができる。デザインプロジェクトの中でユーザビリティが果たす役割は、現実世界で機能するものは何かという真実を浮かび上がらせることである。機能するかもしれない、機能して欲しい、作る側のそんな願いを確認することではない。真実を徹底的に追求する姿勢で取り組まない人材を、企業が長く必要とすることはないだろう。

2006 年 9 月 11 日