法律というシステムのユーザビリティ

  • 黒須教授
  • 2002年9月24日

結論からいうと法律というシステムはきわめてユーザビリティの低いものだ。知っていることが前提にされているにもかかわらず、ちゃんと教えられていない。きちんと学習させる仕組みができあがっていないのに、知らないで違反すると罰せられる。

保証人についてテレビの番組が放送しているのを見たことがある。保証人という、結構依頼される機会の多い仕組みが、これだけの危険性に満ちたものであることを、出演者一同理解していなかったし、私自身、たとえば身元保証人の年限についての規定など、知らないことも多かった。

たしかに法律は沢山ある。ありすぎる程ある。だからそれを全部覚えるのは大変だし、条文をそのまま覚えるだけでは不十分で、過去の判例を知る必要もある。それをマスターするには司法試験に合格する程度の勉強が必要になることは確かだろう。だからといって、まともな教育をやる仕組みが全くないというのもいかがなものだろう。

ここで製品と取扱説明書の関係を考えてみたい。製造物責任(PL)法について、内閣府のホームページ(http://www.cao.go.jp/)の中の「消費者の窓」(http://www.consumer.go.jp/)では「欠陥の有無の判断は,個々の製品や事案によって異なるものなので,それぞれのケースに応じて 考慮される事情やその程度は異なり得ることになります。例えば,製品によっては,表示や取扱説明書中に,設計や製造によって完全に除去できないような危険について,それによる事故を回避するための 指示や警告が適切に示されているかどうかも考慮されます。また,常識では考えられないような誤使用 (異常な使用)によって事故が生じた場合には製品に欠陥は無かったと判断されることもあります。」というような説明をしている。こうした解釈がなされることから、PL法の施行以後、取扱説明書には、こうしてはいけない、ああしてもいけない、という注意書きが沢山書かれるようになった。それも多くの場合、取扱説明書の冒頭に置かれるようになった。それだけアピールしているのだから、しかも注意しやすい冒頭の位置に書かれているのだから、それを読まないで誤使用をしたような場合には責任は取りませんよ、ということになる。

この関係を日常生活と法律の関係に当てはめると、少なくとも取扱説明書に書かれている程度には、国は日常生活に関係している法律をきちんと国民に知らしめる努力をするべきではないかと考えられる。そうした努力をせずに、違反したからといって取り締まることだけをするのは不公平というものだ。

もう少し問題を一般化して考えると、日常生活を営むために必要なこうした基礎的情報を、教育の場できちんと学習させるような仕組みを考えるべきではないだろうか。そういう知識は常識の範囲だ、と言っても、学習する機会がなければ常識にはなり得ない。そうした学習は大学では遅い。愚かしいことをしでかす中学生や高校生が沢山いるからだ。しかも大学の講義というものはきちんとしたフォローがない。大学の講義の試験やレポートほど簡単なものはないからだ。だからこうした知識は中学や高校できちんと教えるべきだ。その基礎的な部分は小学校から教えはじめても早すぎるということはない。それを中間テストや期末テストでちゃんとフォローするのだ。しかも、それを大学入試科目にも取り入れるのだ。このような体制を作っておいて、なお「そんな法律は知りませんでした」という人間がいたら、それは非常識な人間といってもいい。それは取り締まりの対象としても構わない。

製造業は、製品に取扱説明書をつけたり、製品自体を使いやすくしたりと、そのユーザビリティを向上させるために努力をしている。たしかに、どこまで努力しても、間違う人はゼロにはならないだろう。しかし、製品のユーザビリティ向上に向けた努力を怠ってはならないし、企業関係者はその方向に努力している。そうした民の動きを横目で見ながら、官が法律のユーザビリティの問題を放置している現状は見過ごしてはならないだろう。こうした指摘を国民の声として官の耳に届けなければならないだろう。