経験工学について

人間の経験をより適切なものにするためのアプローチである「経験工学」という言葉について、まだ国内ではあまり話をしてこなかったので、ちょっと簡単に整理しておきたい。

  • 黒須教授
  • 2013年6月3日

経験工学(XE: Experience Engineering)という言葉をあちこちで使い始め、先のACM SIGCHI 2013のワークショップでもキーワードとして話をしたし、これから開催されるHCI International 2013やAPCHI 2013でも話をするつもりだが、まだ国内ではあまり話をしてこなかったので、ちょっと簡単に整理しておきたい。

経験工学の定義・対象

まず、経験工学とは、人間の経験をより適切なものにするためのアプローチ、として定義される。さらに、経験というのは基本的には短期記憶を含めた記憶に保存される。短期記憶を含めるから、同時的なサービスの経験も保存されることになる。また、認知心理学では、エピソード記憶についても意味記憶についても、事象的情報についての記憶として扱っている傾向があるが、認知体験には感情も随伴しており、経験として保存されるのは、情報に関する記憶と感情に関する記憶のカップリングされたものになる。感情は、発達的には快-不快から細分化してくると言われているが、ともかく、それなりのコード化がされているものと考えられる。

経験工学の対象は、モノとコトの両方である。この日本語は英語には訳しにくいが、日本語でいえば、モノというのは、道具や機器、建築物、ソフトウェアなどの人工物であり、コトというのは、サービスのような体験のことを意味する。したがってサービスも人工物であると考えれば、経験工学の対象は、人工物すべてということになる。

経験工学では、ある人Aさんの経験を適切なものにすることを目指すが、そのためには別の人Bさんがそれを設計・製造・提供する。典型的には機器メーカーが何らかの機器を設計し、それをユーザに提供するというモノの場面があり、それを買う時やユーザサポートに連絡をした時の顧客対応というサービスとしてのコトの場面がある。その意味で、経験工学では、ユーザ調査を行う段階で、設計担当者とサービス担当者が同席し、ユーザの期待やニーズに対して、どのような形で、その経験の最適化を図るかを協議することが基本的なアプローチとなる。

ここでサービスというのは、標準産業分類に含まれるような第三次産業のようなものではなく、サービス活動という活動のことである。したがって第一次産業でも畑のそばの無人販売なんかは装置もあればサービス活動の一環でもあるし、第二次産業でも機器などを製造するだけでなく、その販売や保守などに関してはサービス活動が含まれる。

なお、例外的にAさんがBさんと同一である場合も含まれる。つまり、自分の寝床を自分の気持ちいいように設定するとか、自分の部屋を気に入ったようにアレンジするような場合である。人工物でなく、自然物による経験はどうかというと、たとえば登山をしていい景色を見た場合、それは登山道という人工物から見た景色であることが多く、その意味では広義の人工物に含まれる。しばしばそうした場所にはベンチが用意されているが、それは経験工学によって設計されたものといえる。したがって、人間の経験のうち、経験工学の対象にならないのは、森に紛れ込んで、ふと息をついてあたりの景色やフィトンチッドの香りを楽しむような場合であろう。しかし、しつこくいえば、そうした経験をするために、そこにアプローチするための交通機関があり、地図があるのだから、そうした経験といえども人工物と無縁ではあり得ない。

経験工学の三つの軸: 意味性、客観的品質、主観的品質

さて、経験工学には三つの軸がある。最初に意味性の軸、もうひとつは客観的品質の軸、そして主観的品質の軸である。意味性というのは、その人工物がある人Xにとって、意味があるモノ/コトかどうかということ、Xにとって必要性があるかどうかということである。これはニーズに対応するという意味でもある。ニーズがなければ猫に小判となる。客観的品質とは、認知性や操作性を含んだユーザビリティを筆頭として、機能性、性能、信頼性、安全性などが含まれる。これらはいずれも(基本的には)客観的指標によって測定することができる。主観的品質とは、満足感や美しさ、快適さ、愛着などである。これらは主観的品質の下位次元であり、美しいから快適とは必ずしもいえないように、基本的には相互に独立の概念である。

この意味性、客観的品質、主観的品質を向上させることが、人間の経験をより適切にすることにつながり、その方法論としては、先の述べたモノの他に、各品質向上のために使われている多様な手法が含まれうる。それらは追って整理する予定である。なお、人間中心設計という概念も、経験工学の考え方を実践するアプローチとして位置づけられ、ISO9241-210に書かれているような狭いものではない、と考えている。

Original image by: Brian M Forbes