笑顔と満足感

テレビのCMやポスターなどの非現実さの典型例が、そこに映されている人々の笑顔である。今回、言いたいのは、UXによる満足感を笑顔というビジュアルで表現するという単細胞的な発想を考え直そうではないか、ということだ。

  • 黒須教授
  • 2014年9月22日

非現実的な笑顔

テレビのCMやポスターなどの現実からの乖離にケチをつける習慣のある私と相方なのだが、そうした非現実さの典型例がそこに映されている人々の笑顔である。日本人は欧米人よりも感情表出が乏しいとは良く言われることだが、その日本人に満面の笑顔を作らせることを宣伝関係者はどう考えているのだろう。我が家的にいえば「こんな時にこんなに笑うか?」ということになる。ひどいときには「これ馬鹿なんじゃない?」ともなる。

しかし記念撮影をするときにcheeseとかone, two, threeと言わせたりするのは、そもそも欧米から移入されてきた習慣である。その意味では、欧米人でも意図的にしないと笑顔を見せないことが多い、ということかもしれない。たしかに欧米人と話しをしたり食事をする機会は学会関係を中心にして少なくはないのだが、彼らは笑うことはあっても、その多くは発話としての音声の笑いであって、必ずしも表情としての笑顔ではない。もちろん、作り笑いでは更々ない。

満足感を意味する記号としての笑顔

今回、言いたいのは、UXによる満足感を笑顔というビジュアルで表現するという単細胞的な発想を考え直そうではないか、ということだ。なぜ作り笑いであっても、笑顔は満足感や幸福感を意味する記号として考えられてしまうのだろう。そこに根本的な疑問がある。それは生得的な人間の性(さが)なのだろうか、それとも通文化的に受容された規約なのだろうか、それとも単なる思い込みなのだろうか。規約だとすれば、笑顔という記号を見たときに、それを幸福とか満足という概念に連合させて解釈することを我々は学習し、強制されてもいるということになる。思い込みだとすれば、笑顔を見せる方の意図は必ずしも的確に相手方に伝わっていない、ということになる。

いや、問題を整理しておこう。まず、良いUXは満足感や幸福感を与えるかという第一命題、そして満足感や幸福感を感じている人々は笑顔を浮かべるのかという第二命題、さらに笑顔を見ることによって我々はその人物に満足感や幸福感を適切に推測することができるのかという第三命題、というように整理することができるだろう。

良いUXは満足感を与えるか

第一命題は、原則的には受容してもいいように思うが、何らかの人工物を利用していて、人々が常に満足感や幸福感を積極的に強く感じているかとなると、多少の疑問はある。いわゆる当たり前品質的な話で、出来て当然、出来なきゃ怒る、という類の感情である。それは魅力的品質が足りないからであり、UXとしては不十分なものである、という言い方は可能だろう。

しかし、本来、当たり前品質を充足した上で魅力的品質を目指すべきなのに、魅力的品質を当たり前品質の欠損の穴埋めに使おうとしているような事例を見ることも多く、まあ、どちらの場合もUXとしては不十分なものといえる。いいかえれば、当たり前品質が貧弱で魅力的品質が高い場合には、人は本当の意味で満足感や幸福感を感じたりしないだろう、ということである。良いUXというのは、当たり前品質も魅力的品質もそれなりの水準を達成した場合に成立するものである、と考えればこの命題は成立することになる。

だが、ここでもう一つの疑問が沸く。同じ製品や同じようなサービスを利用していて、人はそれを利用するごとに満足感や幸福感を感じているのだろうか。人工物に新規性があるうちはまだしも、それが繰り返されると、満足感や幸福感も低減し、あるいは沈潜してしまうように思う。つまり、新鮮な経験は喜びとなり、満足感や幸福感につながるが、これは主にサービスにあてはまることであって、製品の場合には首をかしげてしまうことも多い。

満足感を感じている人々は笑顔を浮かべるのか

第二命題については、まず笑顔にも種類があることを指摘しなければならない。これは笑いの研究として心理学や哲学で長く行われてきたことではあるが、笑顔がすべて満足感や幸福感につながるわけではない。おかしさや面白さに対しても笑いは起きるし、皮肉な笑いというものもある。CMを作っているときに、どうやってモデルに笑わせているか、という話につながるのだが、時にはその製品やサービスの利用とは異なる文脈での笑顔を使ってしまっていることもあるのではないかと思う。

笑顔からその人物の満足感を推測できるのか

最後に第三命題である。第二命題についての疑義が正当なものであれば、第三命題は崩壊する。ただ、我々視聴者側の感受性の問題も関係してくるので、笑顔があればまず安心、というような大まかなケースも可能性はある。

あまりにも笑顔にあふれた広告の類を見ていると、その軽薄な意図に違和感を感じるし、時には憤りさえも感じてしまう。そういえば、記念撮影などのとき、カメラマンは大抵笑顔を浮かべてください、という。笑顔というのは無難なものだからだろうけれど、同時に普通、人は笑顔を浮かべてはいないものだ、ということでもある。名刺に貼り付ける写真を撮影される時に、いつも注意される自分は、そんな風に思っている。